|
夢が教えようとしていたものは…
…あれは、正夢だったのだろうか。
小さいとき、繰り返し見る夢があった。
我が家が、大火事になっている。
業火の中から、父と母が無事に出てきた。
ほぼ同時に炎の柱が躍り上がり、両親の後ろで家が焼け落ちていく。
二人は崩れていく家と炎の前で笑っている。
だいじょうぶよ、といって笑っている。
よかった、よかったと駆け寄ると、
両親の腕に飛び込む寸前に母親だけが粉々に砕けて、
ハラハラと舞う桜の花びらのように散っていった。
…母は、最期まで笑顔だった。
いつもそこで、自分の悲鳴で目が覚めた。
嫌な夢だった。
怖い夢だった。
私は蝶よ花よと育てられたせいもあって
なんだか茫漠とした子供だった。
犬とか鳥とか、雑木林とか野原の草木が友達だった。
知らない人が多すぎて、幼稚園には行けなかった。
小学校でも他の子供に馴染めず学校に行けなかったり、
ついには転校させてもらったり、
転校させてもらって、学校へ行くようにはなったものの
桜の花びらと追いかけっこをしていたり、
葉っぱで遊んだり、雲をぼんやり眺めていたり…
先生方には心配をかけたが、平和な毎日を過ごしていた。
友達もあまりいなくて、その分、子供ならではの揉め事も少なくて
泣いた記憶があまりない…が、
その夢を見ると、必ず大泣きした。
めったに泣かない私が泣くので、
そのたびに家族みんなで心配してくれた。
怖い夢が告げてきたのは、
家族で過ごせる時間は、永遠のものではないということ…
私を守ってくれるもの、
いつでもお姫様でいられる場所は、
いつか、私の手の届かないところへいってしまう、
そんな日が来るのは避けられないのだということだったろう。
現実をつきつけられ、
でも、認めるのが怖くて、嫌で、ますます泣いた。
「ママとパパはいつまで生きる? 100歳まで生きる?
ずっと、ずっと、一緒にいてくれる? 約束して?」
悪夢から覚めて泣きじゃくりながら同じことを繰り返す私に、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、ずっと一緒にいるからね、
なんにも心配しなくていいからね」、と、
抱きかかえてくれた両親。
私はいつでも守られていた。
贅沢すぎるほど、愛されていた。
やがて、おっとりと桜の花びらと遊んでいた小さな私はいつしか消えて、
チャカチャカと、たくさんの友人と楽しく遊べるようになっていた。
怖い夢も見なくなっていた。
いつしか、そんな夢を繰り返し見たことさえ忘れてもいたようにも思う。
いつか別れがやってくる…
それを忘れていられる日々、日常は、贅沢だ。
安心しているから、ひどいことを言う。
…怒らせたって、明日謝ればいいや。
甘えているから、不機嫌をぶつける。
…このくらい、わかってくれたっていいじゃないの。
…ありがとうなんていわなくたって、わかってくれてるよね。
もっと、もっとと愛情を求めて、
足りない物を探し出しては、腹を立てる。
傲慢で、わがままでいられる日々。
そして、それが許される日々というのは、贅沢なことには違いない。
私が14歳になったころ、父が事業に失敗して家を手放し、
母はあっけなく逝ってしまった。
まるで、花が散るように。
最後まで笑顔だった、あの夢と同じように。
…あれは、あの夢は、正夢だったのだろうか。
…それとも、私がいつか人生の早いうちで直面する事実を、
暗に教えてくれようとしていたのだろうか。
心の準備を、させてくれていたのだろうか。
過去は忘れなくてもいいしムリに乗り越えなくてもいいけれど、
許して手放していくことは大切だと、改めて思う。
そうして、癒されていくものだ、とも。
今、時々夢に現れる母親は、いつでも笑顔だ。
それからあちこちで出会う人々が、母親のような優しさを惜しみなく与えてくれる。
国を越え、人種を超え、旅の途中でも母の優しさと会う。
それはもちろん、私が母の面影を無意識に追っていることも事実だろうが
「ずっと一緒にいるからね」
あの言葉は、気休めではなかったと思いたい。
いろいろな人や景色に乗せ、出会いに乗せて、
ここにいるよ、いつもそばにいるんだよ、と
伝えられ続け、守られ続けてきたことを…
そして母がくれた暖かな思いは、ずっと私と一緒にいるんだと。
|