|
家族で交わすラブレター
2004/2
今年も寒さのピークをすぎ、母親の命日がすぎた。 毎年この時期、私は忙殺の日々に翻弄されているような気がする。 多分、できうる限り忙しくして、 この日をやりすごそうとしていたころ …そのクセが残っているんだろうな、なんて最近は思っている。
こういうクセに気がつくと、ちょっと前は あ〜も〜ナニやってんだダメだなダメじゃん、ポカポカポカ!なんて 自分を叱咤していたけれど、
…まあ、そんなこともあるさ、と落ち着くようになった。 …悲しんでいる自分があるだけだ。良い、悪いの問題じゃない。
と、静かに眺められるようになってきた。
ところで私の父親は母をお墓にいれたくないといって 今もお骨を自宅においている。 海外じゃよくあることだけど(お骨をツボとかに入れて飾っている!) 日本じゃ、けっこうビックリの図だとは、思う。 …自分が亡くなった時、一緒に海に散骨して欲しいといっていた。
散骨は父親の希望で、母がなくなる前から 「パパが亡くなったら狭いところにいれないでね、頼むね、頼むね」と しつこいほど母親に頼み込んでいた。 父親は、母親より一回り年上だった。
「どう考えたってボクの方が先にお迎えが来るから…」 「そんなこと言わないでくださいな、置いていかれるのはもうコリゴリ」
「…ママさん、ごめん!つい…!」 …母親は父と出会ったとき、未亡人だったから。
「とにかく長生きしてくださいね、ご機嫌でね」 「うん、わかってるよ、わかってる」
恐縮する父の前でたおやかに笑っていた母親が、 あっさり旅立ってしまったのは こんな寒い2月のことだった。
その数ヶ月ほど前、私たち家族はバラバラに暮らしていた期間があった。 父親が事業に失敗してしまったのだ。
当時の取立ては激しいものだった。 家族を守るべく父親だけが埼玉に行き、みんなで暮らせる準備が整うまで、 という希望を胸に、私たちは山間の小さな町に身を寄せ合っていた。
埼玉からその山間まで、父親が仕事先のバイクで来た記憶がある。 いつもはたおやかで、おだやかな母親が、父親の腕の中に飛び込んで行った姿を記憶している。
父は数時間だけ滞在して、また仕事に戻っていった。 そのとき父と母は毎日手紙を書きためて、会うたびに交換していた。
父の手紙はいつでも猛烈なラブレターで、 「このまま恋愛ドラマの台本になるわ」、と 母親は笑っていた。(決して見せてはくれなかったけれど)
父親から母親へ…あの手紙の束は、どこへ行ったのだろう。 あれから何度も何度も引越しをしたし 悲しみと向き合うのが怖くて茫漠としているうちに 私と父親、両方の記憶のどこかにまぎれてしまった。
一方、母親から父にあてた手紙は、はじが焦げている数通が残るのみ。
ある日、父親は手紙の束を持っていることが辛くて辛くて たまらなくなって、焼いたのだそうだ。 …・だいぶ燃えたころになって、われに返ってあわててもみ消したのだという。
パパさんから特別に許可がでたので、ここに転記します。
まわりがレース模様にカットしてある便箋に、 やさしい、流れるような母親の文字。 母親は鼻っ柱は強かったけれども、エレガントな人だった。
*-*-*-* パパ
優しい言葉のお手紙を、いつもありがとうございます。 お辛い日々と思いますが、 今まで何度も立ち直ってこられたパパです。 私はその度に一緒にいましたからよく存じております。 だいじょうぶですよ。 今までの失敗を数えるより、今からこれから、 あともう一回だけ、起き上がればいいっておっしゃってましたよね。 今だからこそ、どうかこのことを、お忘れなきように。
みさちゃん(私)も、てっちゃん(兄)も、よく頑張ってくれています。 私たちが頑張れるのは、家族があるからですね。
ラッキーもエルザも(犬と一緒に暮らしていた)、ロリータ(オウム)も、 みんな寂しがっていますが、元気ですよ。 狭い家ですから、みんなで寄り合って暖かくしています。 ここは山の中ですので、犬たちはかえって喜んでいるようです。 犬の散歩中に、立派な古木を見つけましたよ。 立ちはだかって、悪いものを遮ってくれてるようなポーズをしています。 今度、一緒に見に行きましょう。なんだか元気がでますよ。 一刻も早く家族みんなで暮らせるよう祈っております。
いろいろご不便と思いますが、どうか、お体に気をつけてください。
追伸 私はいつも、強い強いとみんなから言われますが、 パパがいないと、強いフリをしているだけの女性だなとつくづく思います。 正直に申し上げますと、一人でいるのは寂しくて心細いのです。 どうか、私が弱りすぎる前にお帰りくださいますように。 みんなで、笑顔で暮らせますように。
*-*-*-*-*
はじっこがこげ落ちた便箋の上で、母親の優しい心があふれてる。
文字がところどころ滲んでいるのは、 …母が泣きながら書いたのだろうか。 …父が泣きながら読んだのだろうか。
この手紙の後、しばらくして、家族は一緒に暮らすことになったのだが 落ち着く暇もなく母親が倒れてしまって、 そのまま、帰らぬ人になってしまった。
悲しみに眠れぬ夜を過ごした翌日、 くたびれたおやじさんが、訊ねてきた。 黒いセーターに、色とりどりの毛玉をたくさんのせたセーターを着ていた。 病院が紹介してくれた葬儀屋だという。
彼は正座をするともりあがる太ももをもてあましながら、 母親の葬儀について、目をショボショボさせながら父親と打ち合わせをしている。 私と兄も、そばにいた。
葬儀屋は、母親の写真を一枚用意してくれと言いだした。
…写真。
何もかもあきらめて身ひとつで逃げていた私たちには、 母親の写真一枚すらも、持っていなかった。
父が、「免許証の写真を流用できるでしょうか」と、 母親の財布から免許証を取り出す。
葬儀屋が免許証を受け取った。 「う〜ん。どうでしょう。 写真部分だけ切り取っていいですか?」
「はあ、どうぞ…」
父親が力なく答え、ハサミを渡す。
「やめろよォ!頼む、お願いします、それだけは止めてくれ!」
突如兄がいきり立って、葬儀屋から免許証をひったくる。
父と私はくたびれ果てていて、ボンヤリその光景を見ていた。
「葬式の写真のために免許証を切るなんて!葬式なんてしなくていいじゃないか!」 兄は母親の免許証を握り締め、部屋を出て行ってしまった。
葬儀屋が目をしばたかせながら、視線を落とす。 やっと我に返った父が、自分の財布から一枚の写真を出した。 「ああ、これがあったか…」という、独り言とともに。
ずいぶん日に焼けた写真である。 髪の毛を後ろで束ね、エプロン姿につっかけサンダルの母が笑っている。 母親の手を両肩にのせて笑っているのは私。 カメラ(父親)を見る穏やかな表情のママ。 私は、3歳ころだろうか。 赤いズボンに黄色い長靴をはいて、 カメラの方角がまぶしくて身をよじりながら、笑っている。
家の敷地の中、母親の車の前で。 光がやわらかい。 二人ともコートも着ず寒そうには見えないが、 後ろの雑木林がすっかり丸裸だから、小春日和だったのだろうか。
「ああ、よかった、これでお写真の用意ができます」 葬儀屋がその写真を両手で受け取り、 翌日、大きく引き伸ばした葬式用の写真ができてきた。
写真の中で、母親は黒い着物を着せられていた。
「ママは、こんなになで肩じゃない。この写真屋はヘボだ」 父親は泣いた。 兄はだまっていた。 私は戸惑っていた。
葬儀の日は、私の学校の先生とクラスの友人と、 親戚は父親の姉妹だけが来てくれて、あれこれ慰めの言葉をかけてくれた。 葬儀屋は当日も毛玉セーターのまま奮闘してくれて、 葬式は滞りなく進んでいたのだと思う。
記憶は飛び飛びの画面で覚えている。 時々見上げた泣き出しそうな空、丸裸の枝たち、 霜がとけて湿った土。 父親と兄がつくった一升瓶の空き瓶山がまた、高さを増している。 棺に釘をうつときに漏れる嗚咽。
そこから画面が飛んで、出棺の時だろうか。 私はなで肩にされた母親の合成写真を抱えて、 たしかにママは、こんなになで肩ではないなぁ。 あ、生え際まで修正してある。 着物用にヘアスタイルが修正してあるのか。ヨケイなことを…。 そんなことを思いながら、 写真の上にポタリポタリと落ちていく涙を見ていた。
涙が瞳の上で厚みを増すと景色がユラユラユラ、水面の向こうへ。 そのままうつむけば、 今まで画面を揺らしていた涙がまぁるくなりながら、瞳から離れて 母親の写真のガラスに当たる。 ポタポタと、写真の中の母を濡らす。 写真をどけて、涙をそのまま地面まで落下させてみる。 地面をもてあそんでいる私のつま先。
葬式が終わって、その後どうしたんだろう? 次の記憶は、川沿いの火葬場で、父と兄がケンカ。 葬式の後片付け。寒かった。
担任の先生が、「今はどん底だ。がんばれ」 声をかけてくれた時、その肩にフケがたまっていて、イヤだった。 記憶はあちらこちらへ飛んでいる。
ああ、あれからこんなにも時間がたってしまったのか。 母親と暮らした年数をずいぶん追い越してしまった。
年を重ねるごとに、ありがとうとしか言えないことばかりになっていく。 あのとき、生意気で、意地悪で、ごめんなさい。 でも、ありがとう。なにもかもに、ありがとう。 ママの子供に生まれてよかった。 ママとパパが私の両親でいてくれて、よかった、と。 これだけは、ムネをはって、いえるんです。 今もいっぱい寄り道をしてはいますが、ちゃんと幸せでいようと思います。
ところで両親は二人とも手紙マメで、 私が小さいころ、毎日のお弁当には、小さなカードがついていた。
お弁当包みをひらくと、 「大事なみさちゃんへ」と書かれ折りたたまれた小さな紙片があった。
その紙片を開くと、なにかの雑誌から写したマンガ絵と、 (アルプスの少女ハイジとかバンビとか、ベティさんとか、ドッグフードのキャラクターの犬だとか)
「たのしい、おひるやすみになりますように」 と、メッセージがあった。 …父と母が、私が寝た後に、二人で作ってくれていたものだった。
ああ、あれから、本当にいろんなことがあって、
実物はもう、一枚も残ってはいないのだけれど…
記憶の箱のふたを開ければ、
どれもこれもが鮮やかに踊りだして、私を泣かせる。
優しい気持ちが、あふれ出す。
|